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(Vol.174)

============================= CONTENTS =============================
【コラム/『どうなってるの?NIPPON』】 <寄稿>
  知るべきことを知らなかった責任あるべき立場の人の責任
  日本の法律と経営陣にはPDCAの認識はない?     公江 義隆
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「知らなかった」「故意(組織的)ではなかった」が通る「おかしな現象」が
最近増えています。

そんな中、公江さんから文書を送っていただきました。

気になる問題ですので皆様の参考になろうかと考え、
今回も<増刊号>として配信させていただきます。

間違いのご指摘はもとより、御意見・考察や有益な追加情報等があれば
御連絡いただければと考えます。宜しくお願い申し上げます。

■=== 【コラム/『どうなってるの?NIPPON』】 <寄稿>

                         公江 義隆 
               JUAS/ISC、もとITコーディネータ
                もと武田薬品工業(株)情報システム部長

 〜 知るべきことを知らなかった責任あるべき立場の人の責任
          日本の法律と経営陣にはPDCAの認識はない? 〜

この数週間を振りかえると、このテーマに関係する興味深い動きがあった。

1つは2005年、107名の死者をだしたJR西日本福知山線脱線事故で
歴代経営者の責任を問う強制起訴裁判で、神戸地裁は全員に無罪の判決を
下した。

この少し前になるが、東京電力福島の原発事故に対し、東京電力の旧経営陣、
政府関係者、学者の「業務上過失致死傷」の責任を問う刑事告発に対し
東京地検は不起訴の決定をした。

両者に共通して無罪、不起訴の主な判断は「被告に予見可能性の認識が
なかった」ということである。「知らなかった・わからなかったから
責任はない」、これが現在の法律、法曹者の考え方のようだ。

前者では「急カーブに変更した事故現場での脱線事故の“予見はできな
かった”“危険性の存在の認識はなかった」”である。
「報告を受けていなかった、知る立場になかった」といったことを
無罪の1理由に挙げた同種の訴訟もあるようだ。また今回の訴訟では
「同程度の急カーブは自社他社に多数あり、またATS(列車自動停止装置)
の設置義務は(当時)にはなかった」といったことも挙げられていた
らしい。「他所でもやっていないことは、これが一般的な認識レベルとして、
やらなくても問題ではない」ということのようだ。

原発事故では、「事故の引き金となった15mを超える津波は予見できな
かった」であり、諸外国では改善・対策を行ってきた装置構造や、また
事故が発生した場合の備えのための規制やその運用など本来必要であるべき
ことを、“関係者全体”で「事故は起こらない」ことにして放置し続けて
きたことが事故後に明らかになった。
しかし、「国内の電力会社はどこもやっていなかったから、予知は出来ない
問題であり、これを責任追及の理由にはできない」というのが検察の考え
なのだろうか。

2つめの問題は、すこし前に判決のあった大阪の高校バレー部の主将の
自殺事件である。体罰問題が世間の注目を集める中で、バレー部顧問で
あった元教師には執行猶予付きながら懲役1年の有罪判決があった。
一方、監督すべき立場にあった教育委員会や校長にはお咎めなしのようだ。

この種の体罰的行為は、学校運動部、相撲部屋、種々のスポーツチーム、
オリンピック競技の連盟・団体・・・等など、日本の多くのスポーツ組織で
過去数10年以上にわたり普通に行われてきた、云わばこの分野の多数の
人たちが普通に続けてきていた行為だったはずだし、当然この教師にも
生徒の自殺にたいする“予見性はなかった”であろう。

日本の現在の法制度では、「業務上過失致死」などの刑事責任を問えるのは
特定の個人に対してであって企業組織にはできない。
被害者は問題が起こっても民事裁判で損害賠償を求めるくらいしか方法が
ないが、民事訴訟では因果関係を含め種々の立証の責任が原告(被害者側)
にあるため、裁判で有利な結果を得るための負担は極めて大きく、
裁判所は「和解:話し合い解決」を勧める場合が多くある。

結果的に責任問題については「トカゲの尻尾きり」、「被害者は泣き寝入り」
、「組織の責任あるべき人たちは安泰」ということで、司法も事故を起こ
した側の責任者も幕引きということにしてしまう。

ここにはPDCA(注)はない。根本的なレベルでの問題解決はされず、
同種の事故や事件はなくなりはしないない。

 注)法律・判決に対して、その結果で社会がどうなったかという問題
  である。その結果によって法律や、判決のベースの見直しが本来
  必要なはずなのだ。
  また、企業では自社だけでなく、同業他社や業界、あるいは他分野の
  組織の失敗を他山の石として自社に活かせる知恵にすることである。

◆責任ある立場の人が権限を行使している対象の特性・・大きなシステム

20世紀後半以降、世の中の多くのモノは多数多様の要素が組み合わされ、
関係しあう大変複雑な仕組み・・・大きなシステムとなった。

安全性という観点から見る大システムの特性は、末端の1要素が不都合を
起こしてだけで全体に致命的な影響を与える場合が多々起こり得ると
いうことだ。そして安全性を確保するための膨大な数にのぼる実際の要素の
多くは、いわゆる現場や現場の個人にある。

しかし、経営幹部など責任ある立場の人には、その現場を変え、また個人に
影響力を行使できる立場と権限を有しているはずなのだ。

107人の死者をだした列車脱線事故の直接原因は、遅れを取り戻そうと
したたった1人の運転士の、列車の遅れを取り戻そうとするスピードの
出しすぎ(ブレーキをかけるタイミング遅れ)であった。
そして運転士をそのような状況や心理状態に追い込んだ一因は組織の
経営方法にあったともいわれるが、こんなカーブが社内に数10箇所は
あったといわれる。

裁判所は「ヒューマンエラーによる事故の防止対策」いついて
“JR西日本管内では、1989年度から2008年度までに運転士の
居眠りなどに起因する事故などが400件近く報告されている。・・・
曲線手前でブレーキ時期を逸した場合に発生する事象の予測や危険性の
検討、バックアップのための対策といった視点での分析は本件事故まで
なされてこなかった”としながら、「経営幹部の危険性の認識」について
“経営幹部が線路の形の変更工事による半径の縮減結果や制限速度、曲線手前の直線の列車の走行状況など、危険性を認識できる端緒となる
事項を具体的に知る機会はなかった。取締役会で具体的な列車ダイヤを
検討することはなく、経営幹部が事故列車の遅延率が高いことや
曲線手前の直線を先駆最高速度で走行する列車が増加したことなどを
認識したり、認識する可能性があったりしたことを裏付ける証拠はない”
を理由に無罪とした。

つまり、知らなければ責任はないということになる。

一つの要因、一人のミスで大事故につながるような未対策の急カーブが
社内外に多数あるが故に、事故を起こした急カーブにも安全設備が設置
されていないことは、経営者が認識すべき特別の問題ではないという
考え方とも取れる。しかし、この急カーブは、経営力強化のために
事故の直前に線路に形を作り変えたが故に生じたものなのだ。

経営幹部にはこの線路の形の変更がリスクを高めるという認識がなくてもよいという考え方なのだろうか?。
つまり、経営幹部は安全性に関わる問題について、自ら情報を求めず、
認識しようとせず、対策の検討もしていなかったが故に責任を逃れられる
ことになる。

裁判所が無罪の理由に挙げた“認識しなかった”危険性の認識・予知を、
認識することこそが、大きなシステムを運営する企業の経営幹部として
必要な能力であり責務なのではないのだろうか。

もし的確な予知が出来なかったために事故が生じたになら、
予知しなかったこと自体が過失とはいえないだろうか。
そうなら経営幹部の怠慢こそが事故の原因ということになる。

そう考えるなら、現行法やその解釈・判断の見直しこそが必要な対策である。

<参考1>
最近起こったJR北海道の貨物列車の脱線事故では、事故の直接原因は
レールの保守を怠っていたことのようだ。数年前から事故続きで国から
業務改善命令を出されたが、今回の事故について、社長は「社内に
安全意識の醸成を図ってきたが、その徹底が出来ていなかった。
保線業務は担当部局にまかせていて報告が無いから問題なく旨くいって
いると思っていた」と弁明していた。現実はそうとでも言うしかない
人手不足・予算不足状態(注)だったようだが、それでも「報告がないから
問題なくうまくいっている」、つまり現場の責任が言い訳に出来ると思う
考え方が問題だろう。

 注)「JR九州に比べ・・」などとの批判もあるが、
  事故の本質は、北海道の低い人口密度、長大な路線長や厳しい冬季の
  気候条件など多大に費用のかかる特性など、自立のきわめて困難な
  地域・事業構造と、国鉄分割民営化に際して設けられた基金に、
  頼らざるを得ない財務条件下での低金利化による基金からの収入の
  低下、それらの問題解決を先送りしてきた歴代経営陣と株主である
  政府の問題であろうが、これは本稿で掲げる問題とは異なるので
  これ以上触れないことにする。

こんな中で、極めつけの事件が発覚した。ホテルのレストランのメニュー
偽装(ホテル経営側は誤表記という)事件だ。

TVに出てくる支配人、社長などの発言は、全て原因は現場の問題、部下の
問題、仕入先の問題であるとするものであった。「秘書がやったこと」と
いう政治家の発言は飽きるほど聞いてきたが、企業責任者がここまで
責任を部下や社外に明確に押し付ける発言を聞いたのは初めてである。
10数年前には、山一證券の破綻で「悪いにはすべて私たちです。社員は
悪くありません」と涙声で訴えた社長がいた。

その後、有名老舗ホテルチェーン阪急・阪神ホテルに続きリッツ・カールトン、
都ホテルチェーン、プリンスホテル系列、札幌市内のホテル、さらに
帝国ホテルなどなど、業界全体に広がり、留まるところを知らない。

<参考2>
数年前、あれほど食品偽装事件が世間で問題になったのに一体どういうこと
なのだろう。業界全体が「現場を知らない」経営層、「関係する隣の部門が
何をどうやっているか」や「景品表示法・JAS法の具体的な内容や表示の
条件」を知らない現場のようだ。

なお、食材は必要なものがいつも確保できるというわけではない。
無いときや不足する場合には、あるいは価格の高騰時には、“類似品を探し、
調理方法を工夫して味を落とさず似た料理を作るのが調理人の腕”といった
職人気質や常識が背景にあるのかもしれない。

更には、味を知らず・分からず、ブランドを有難がって偽装メニュ食を
何年も前から食べてきた客側の問題も大いにあるように思う(言い過ぎとの
批判もあるであるだろうが、ある意味で自業自得の面もある)。

許せないのは、ミシュランにも取り上げられた高級和食旅館で、
アレルギー物質を使った加工肉をステーキとして子供用食膳にも出していた
偽装である(幸い犠牲者は出ていないようだが、命に関わる可能性のあった
ケースだ)。しかし、このケースは対面販売のためアレルギー物質使用の
表示義務は法律的にはない。

<参考3>
以下の例は、大変困った事件であるが、明らかに故意による規則違反・犯罪
行為であるから問題処理は単純であろう。
問題発生の原因は詳しくはわからないが、関わった社員や業者の処分だけでは
トカゲの尻尾切りのような気がしないでもない。

今後の防止という点では、少なくとも組織マネージメント問題の範疇を
超えるかなり難しい課題が残るように思う。
本稿の問題視点からはやや外れることになるので深入りはしないが、
私には、背景に先進国中でアメリカに次ぐ貧困率の日本の格差社会がある
ように思える。正規雇用社員と非正規雇用社員間の待遇格差、幹部社員と
一般社員の間の不信感、不公平感などによるモラールとモラルの低下に
起因する問題としてである。

一つ間違えば大事故にもつながりかねない東京ガスの社員、下請け会社に
よるガス漏れ修理の偽装。・・・名門企業でなんでこんなことになるのか。
 http://news.mynavi.jp/news/2013/11/01/079/

民営化以降多くなったようにも感じるが、日本郵便の配達員の配達さぼり
事件、過去にも何回かあったが、動機とはいえないほどの極めて幼稚な
理由のケースが多かった。・・・それにしても困ったことだ。
 http://news.mynavi.jp/news/2013/10/10/268/

◆トカゲの尻尾切では問題は改善されない

巨大化・複雑化するシステムにおいて、経済性と安全性は少なくとも
短期的にはトレードオフの関係になる。経営幹部、マネージメントに
携わる人は両者を一体のものとしてバランスを考え、施策の判断と実行の
監理をしてゆかなければならない。

経営幹部・マネージャーの責任は結果責任だ。
責任ある立場の人が知るべきこと・認識しておくべきことを認識して
いなかったために、事故が生じたのなら、知らなかった責任が問われ
なくてはならない。

責任者といわれる人が実際には強大な権限を行使しながら、(本来なら
把握しておくべき・知るべきことを知らなければ)問題が起こっても
責任を取らない(取らせない)、そういう国や組織に希望が持てるだろうか?。

現行の法律の考え方では、安全問題を真剣に考えたが故に危険性を認識を
した経営者に、却って重い責任を問われることにもなりかねない。
明治以来の法律の内容、司法制度を抜本的に見直すべき時期でないだろうか。

                             以上

※「リスクマネジメント」(risk management)とは、
リスクを組織的に管理(マネジメント)し、損失などの回避または低減を
はかるプロセスをいう。リスクマネジメントは、主にリスクアセスメント
とリスク対応とから成る(JIS Q 31000 「リスクマネジメント―原則及び
指針」による)。さらに、リスクアセスメントは、リスク特定、リスク
分析、リスク評価から成る。リスクマネジメントは、各種の危険による
不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための経営管理手法である。
近年、リスクマネジメントは経営上で脚光を浴びており、「コンプライ
アンスからリスクマネジメントの時代へ」とも言われている。

※先進企業から学ぶ事業リスクマネジメント 実践テキスト(経済産業省)
 http://www.meti.go.jp/policy/economic_industrial/report/downloadfiles/g50331i00j.pdf

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